親鸞に聞く観無量寿経の意 著者:藤場 俊基

  • 800円(内税)
サンガ聖典シリーズ1
『親鸞に聞く観無量寿経の意』著者:藤場俊基

真宗大谷派奥羽教区『教行信証』講座の講義録の再版がついに実現!
親鸞聖人は、『仏説観無量寿経』の意(こころ)をいかに読み解かれたのか?
筆者は、『教行信証』化身土巻を通してその意(こころ)を鋭く読み解く!

念仏を離れての「願い」という言葉が氾濫し、如来の願いと衆生の願いの分限が混乱を極めている真宗大谷派の現状は、いったいどこに起因するのでしょうか?それは情緒的な表現の問題ではなく、教学の問題です。
この書を通して議論すべきことがちゃんと議論されることを願ってやみません。
聖典に学ぶ全ての人に捧げる一冊です。
 
A5サイズ128頁 5000円以上ご購入で送料無料

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本書より抜粋

現代の人がいきなり「ただ念仏しなさい」と言われても、「はいわかりました。南無阿弥陀仏」とお念仏するということは考えられません。具体的に私たち自身の身に引き当てて考えてみますと、この「ただ念仏すべし」という教えは、いかに私たちの感性に馴染じみにくいものであるかということがわかるのではないかと思います。ところが浄土真宗の教えというのは、突き詰めていけば、そこに尽きているのです。
 そうすると、常識的感性では受け入れがたい教えが、具体的な一人の人間に伝わっていく時には、普通の筋道では駄目なのでしょう。なぜなら、私たちは「念仏しなさい」というようなことを教えてもらいたいなどとは最初から期待していないからです。
 私たちが期待するのはどういうことかといえば、それは「頑張りなさい。努力すればなんとかなる。君なら必ずできる」という言葉です。この発想は、私たちが家でも学校でも、仕事に就いてからも、いつも言われていることですし、私たちも他の人に言っていることです。だから馴染みがあるし、そう言われたら、頑張ってみよう思ったりするものです。ところが、最初から「ただ念仏しなさい」と言われたら、「えっ、何それ」となってしまいます。この一言に浄土真宗の教えの核心があるとは思えないし、その言葉に素直に耳を傾ける準備さえも持ち合わせていないのが「汝はこれ凡夫なり」と言われる私たちの現実です。

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目次

『無量寿経』論としての『教行信証』 
『観無量寿経』の意
凡夫の代表としての韋提希
諸仏の世界が見えるということ 
仏法と凡夫 
国と王をすてさせた願い
法蔵の思いを超えた願い
韋提希の場合 
二つの三心 
顕彰隠密の義 
なぜ念仏を勧めなかったのか 
親鸞に聞く観無量寿経の意
二つの三心 ― 法蔵の心と衆生の心 ― 
韋提希の見仏 
「化身土巻」にみる親鸞の『観経』領解 
『観経』の彰隠密の義 
韋提希の別選 
三心が成就する姿 
本願成就の一心と三心成就の称仏 
念と称 
南無阿弥陀仏の意味と音 
名の包括性 
浄土教の独自性 
 復刻にあたって 



著 者 略 歴 
藤場 俊基 (ふじば としき)
真宗大谷派常讃寺住職。1954 年石川県石川郡白峰村( 現白山市) に生まれる。
早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。三和銀行で5 年間勤務。大谷専修学院
修了。大谷大学大学院博士課程(真宗学専攻)単位取得。
(主な著書)
『顕浄土方便化身土文類の研究―弁正論―』(文栄堂)
『親鸞の教行信証を読み解く 機銑后戞別誓仆馘后
『親鸞の仏教と宗教弾圧』(明石書店)
『親鸞に聞く阿弥陀経の意』(樹心社)
『『阿弥陀経』に聞く 極難信の法から問われる信』(響流書房・電子書籍)
『『教行信証』の現代的意義 不確かさに生きる一歩』(響流書房・電子書籍)
型番 b0003
購入数

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