「わけもわからずに称名念仏しても意味はない」か?  著者:藤場 俊基

2025年8月末発売

「わけもわからずに称名念仏しても意味はない」か?  著者:藤場 俊基

2023年11月11日に開かれた大谷専修学院の同朋講座における講話をもとに、著者が内容を補足し表現を整理するなど大幅に加筆修正した講義録。 A5サイズ 162頁

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 私は今から40年ほど前に、この専修学院で学びました。その頃は学舎が2つあって、合わせて100人以上学生がいました。
 今回は、担当の先生といろいろとやりとりをした末に、「『わけもわからずに称名念仏しても意味はない』か?」と、こういう講題で話すことになりました。担当された班の皆さんが「さけび」に書いてくださった文章を拝見しましたが、ずいぶん戸惑っておられる印象がありました。そこでまず、このことについて話したいと思います。
 私にとって、このことは真宗の教えを学び始めてからずっと課題になっているテーマです。つまり称名念仏することは、本当に必要なのかどうかという疑問があったのです。なぜこのことが問題になったかといいますと、わけもわからないまま称名念仏なんかしたくないと思っていたからです。というか、もっと強烈な拒絶感がありました。
 でも、浄土真宗の教えに触れた時に、それまで学校で学んだこととは違う何か非常に惹かれるものを感じて、もっと勉強したいという感覚もありました。魅力的な教えだけれども念仏はしたくないという矛盾した感覚を解消したくて勉強を始めました。
 専修学院では、どこかにその理由が書いてあるはずだと思い、聖典や本を読みまくりました。休み時間はほとんど本を読んでいました。寮の部屋の押入れは、半分は布団が入っていましたが、残りの半分は買い漁った本で埋まっていました。それはひとえに「浄土真宗の教えでは本当に称名念仏しなければならないのか、必ずしもしなくてもいいのか」、そのことを知りたかったのです。だからそれ以来今日まで、「なぜ南無阿弥陀仏なのか」ということをはっきりさせたいという問題意識が、私の勉強する原点になっています。私にとっては当たり前の問いだったのですが、この疑問を共有できる人にはあまり出あうことはありませんでした。
 専修学院の本科を修了した後に大谷大学の大学院に入りますが、そこでは、学生さんからも教員からも「自己とはなんぞや」という言葉が聞こえてきました。あるいは「なぜ生きる」とかですね。人生に意味はあるのかというような問題をはっきりさせたくて、浄土真宗を勉強している人が周りには多かったような気がします。
 今になって思うことですが、問題意識の焦点が最初から称名念仏に絞られていたことは、私にとっては大変ありがたいことでした。あれから四十年あまり勉強してきて、今あらためて浄土真宗の教えのど真ん中を射抜く問題意識だったと思っています。
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目次
「わけもわからずに称名念仏しても意味はない」か?
    はじめに 3
    講題における四つの視点 5
    「か?」を付けたわけ 6
    「わけがわかる」とは 10
    諸仏の称名 15
    衆生の称名とその「意味」 17
    「わけがわかる」という思いの闇 19
    本物と偽物の見極め 21
    称名念仏と意味  24
    称名念仏との出あい 26
    念仏者の誕生 30
    言葉にすることの重要性 33
    親鸞聖人の言葉の世界 37
    根本的に信頼できること 38
    真実教の見定め 44
    浄土真宗という教え 45
    浄土によって成り立つ教え 46
    浄土に往・還する 47
    仏教から何を学ぶか 51
    浄土を説く仏教 56
    浄土を通して顕らかになる真実 61
    浄土を説く仏説の存在を信じる 64
    教えと主観との衝突 70
    真宗の教えとの出あい 71
    人間として生きることと仏教 75
    釈尊や仏弟子はなぜ飢えなかったのか 79
    公平であるということ 87
    「真実信心」とは 93
    信心一異の諍論 97
    「真実」は確定できるか 100
    『大経』論としての『教行信証』 103
    『大経』論の原点としての『浄土論』 104
    本願成就文の「至心回向」 109
    「信心同一」を即断できた理由 111
    「自分が何にこだわっているのか」に気づく眼 114
    誰にとっての、どういう意味か 117
    「行」と「業」の区別 119
    意味の有・無に迷う自己 124
    名号を回向する本願 127
    誰が称するのか 133
    称名念仏と自業自得の論理 135
    称名念仏の果 139
    「聞名」が開く敬意の関係 142
    御同朋・御同行の関係の根拠と道理 144
    声なき声を聞く 152
    孫と一緒に浄土に往く道 154
    未来の仏と共に生きる 157


著 者 略 歴 
藤場 俊基 (ふじば としき)
真宗大谷派常讃寺住職。1954 年石川県石川郡白峰村( 現白山市) に生まれる。 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。三和銀行で5 年間勤務。大谷専修学院 修了。大谷大学大学院博士課程(真宗学専攻)単位取得。

(主な著書) 『顕浄土方便化身土文類の研究―弁正論―』(文栄堂)
『親鸞の教行信証を読み解く I~V』(明石書店)
『親鸞の仏教と宗教弾圧』(明石書店)
『親鸞に聞く阿弥陀経の意』(樹心社)
『教行信証 大河流覧』(法藏館)
型番 b027
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